芸人達が使う「いじり」は内容によっては「いじめ」と捉えられてしまうことがあります
学校におけるいじめ問題においても加害者側が「これは“いじり”だよ」といい訳することもありますが、被害者が「いじめ」と感じていれば問題となる
難しい線引きである「いじり」と「いじめ」について書いていきます
「いじり」とは
基本的にいじる側といじられる側の双方合意の下、行われる行為である
双方合意だけでなく「面白いかどうか」もポイントであり、いじる側いじられる側がWINWINの関係である事が必要である
とはいえ、いじりの内容が暴言であったり差別発言であることも多いので視聴者の反応によっては炎上したりすべることもあるので「絶対的ないじり」は存在しないと断言する
関西のお笑いの場でも差別的要素を含むので「倫理的にどうなのか?」という疑問はあるが、視聴者と共演者がウケることによって免罪となっている
- 関係者がオイシイこと
- ウケれば許される
このように単純な基準でいじりが成立するのである
すべると大問題に発展するのでギャンブル的要素があるともいえる
「いじめ」とは
いじる側が一方的にいじってしまったり、いじられる側が嫌な気分になったりすれば「いじり」ではなく「いじめ」になってしまいます
いじめの基準は簡単で、
- 被害者が不快に感じたかどうか
- 客観的に見てアウトかどうか
これらに該当したら「いじめ」であると判断されてしまいます
いじめる側が仮に「これはいじりです」と言ったとしても、された側が不愉快な気持ちになれば通用しないのです
吉本新喜劇のようなことを学校でやれば「いじめ」と判断されてもおかしくはありません
暴言を吐きながらどついたり体の事や差別的発言をして笑いをとろうとしても、された側が傷ついたらお笑いでは無くなってしまいます
あくまでも双方合意でウケなければならない
そしてされた側も得をする事が条件です
どれか欠けたらその時点で「いじめ」です
技術が無いならいじるな
一歩間違えたら「いじめ」となってしまうということは、「いじり」は非常に技術が必要な行いなのです
空気を読むことはもちろんの事、「ここまでは言っても大丈夫だ」と発言のセーフラインを把握していて尚且ついじり方を考えなくてはいけない
とても神経を使うんですよね
技術が無いと「いじめ」や「いびり」になってしまう
テレビでやってしまえばクレームが来て炎上してしまう
リスキーなんですよね、人をいじることって
ここ最近炎上している松本人志はいじる能力が無いと感じますね
昔ほど面白く無いし人をいじって笑いに変える能力が非常に落ちている
久々に見たときに「ただのいびりやん」って思いましたからね
それに比べて明石家さんまは非常にいじるのが上手い芸人です
素人から芸能人まで人を不快にさせないように絶妙にいじります
下手な奴が同じようにすれば炎上しそうな発言でも明石家さんまがやると笑いに変わっている
彼を見ていると「技術が無い奴が人をいじったらダメだな」と確信しましたね
いじり芸は下品である
「お笑いだから」と言い訳をしたくなる気持ちはあるでしょうが、基本的にいじり芸は下品です
他人の容姿や性格、言動を馬鹿にして笑いを取るので差別的要素があると言えますし「いじめ」の要素もあるのです
人間誰しも自分達より劣っている存在をあざ笑いたい欲求があるのでしょう
それを上手くバランスを取って表現すれば『お笑い』として成立すると私は考えています
いじり芸は絶対にウケないといけませんし、いじられる側が喜ぶようにしないといけませんので非常に難しい芸なんですよ
そんなものを素人がやれば「それいじめやん」ってなるのは当然です
多かれ少なかれ「人を馬鹿にする」ことには違いないので取り扱い注意です
まとめ
結論から言えば「技術が無い奴はいじるな」ってことと、いくらお笑いだからといっても下品な芸なのです
その辺を理解してコミュニケーション重視してやればお咎めないかと思います