うぃーーーーーーーーーーっす!今日紹介する音楽家はパッヘルベルだ!カノンで有名なあの人だ!
ヨハン・パッヘルベル、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)ニュルンベルクに生まれる
彼の曲で一番有名なのは誰もが知っているパッヘルベルのカノンである
だが我々は彼の魅力を知らないのだ
カノンだけが彼の魅力ではない、今回は彼の魅力を探ってみよう
バロック期の重要な作曲家
パッヘルベルは生前から人気で弟子も多かった
彼を手本にして音楽学ぶ者が多かったのだ
彼の音楽を一言で言うならば「聴きやすい」だろう
複雑な構成よりも、明快で単純な対位法を好んでいたのが理由だろう
彼は若い頃からオルガニストとして活動する傍ら、学問にも優れていたといわれている
経済的な理由で大学を辞めなくてはいけなくなった時、勉学を諦めたくない彼はギムナジウム・ポエティクムの奨学生になる
その学校の教授達はパッヘルベルの学問における才能に驚いたらしい
そんな優秀なパッヘルベルは学外で音楽を学ぶことが許されていた
成績優秀なのが何かと有利なのはいつの時代でも同じだ
優秀なオルガン奏者
彼の魅力を語る上で外せないのがオルガニストとしての顔である
彼の作曲した曲は200を超えており、あらゆるジャンルにも挑戦する姿勢もあったらしい
あのバッハもパッヘルベルの影響を受けていたとされる
彼はオルガン奏者としての仕事が多く、スカウトも多く誰もがその才能を認めており、彼のオルガン作曲家としての地位を確立していた
彼は演奏だけでなくオルガンのメンテナンスの仕事も出来たといわれている
作曲家としては毎年大曲を発表し、前年よりも優れた曲を作っていた
バッハ家との絡み
バッハ一族とは何かと繋がりがある
教え子にヨハン・クリストフ・バッハがいる
彼の結婚式にパッヘルベルも参加したとされている
もし真実であればこの時にパッヘルベルは、後に「音楽の父」と呼ばれる大バッハ(J・S・バッハ)と出会ったかもしれないのだ
ちなみにJ・S・バッハは当時9歳
エアフルトという街でオルガン奏者として働いていたパッヘルベルはバッハの長男の家庭教師としても働いており、ヨハン・クリスティアン・バッハの家に住んでいた
ちなみにヨハン・クリスティアン・バッハの死後はその家を買い取っている
パッヘルベルの家庭生活
彼は生涯で2度結婚している
1度目の結婚はエアフルト市長の娘とだった
しかし2年後に妻と子を伝染病で亡くしている
この時に発表された曲が「音楽による"死への思い - 人はみな死すべきもの」である
その後にパッヘルベルは銅器職人の娘と結婚し7人の子供に恵まれる
そのうち息子2人はオルガン奏者になり、1人は楽器職人になった
娘は2人いたが、そのうち1人は画家になった
まさに芸術一家である
カノンは生涯で唯一のカノン
あまり知られていないが、パッヘルベルが発表した曲の中でカノン様式は1曲だけなのである
皆が知っているあの曲は彼の唯一のカノンで彼の最も有名な曲になったのである
彼の魅力を知ってもらうには彼の曲を聴くのが一番だ
「パッヘルベルのフーガ」「パッヘルベル室内楽作品集」で検索してみよう
カノン以外の彼の曲を聴いてみてくれ