小学校&中学校の音楽の授業、そこで色々な作曲家を学ぶ
その中でも「ます」や「魔王」で有名なシューベルトは欠かせない存在だ
神聖ローマ帝国(現オーストリア)が生んだ天才作曲家だ
今日は彼の魅力を徹底的に探ってみよう!
シューベルトの幼少期
1797年1月31日、本名はフランツ・ペーター・シューベルト
彼はウィーン郊外にあるリヒテンタールという街で生まれた
母や元コック、父はアマチュア音楽家、兄弟も多かったという
シューベルトは5歳の頃ヴァイオリンを習い神童振りを発揮する
驚いた父親は彼をリヒテンタール教会の聖歌隊へ預けることにした
そこでも彼の音楽的才能は評価され仲間達から一目を置かれていたという
仲間達はそんな才能溢れる彼にピアノを練習する機会を与えた
裕福ではなかったシューベルトは恵まれた環境で音楽を学んでいったそうだ
学生時代
1808年、彼は奨学金を得てコンヴィクト(寄宿制神学校)へ入学する
ここで彼が得たものは学生達との交流が主だったという
同級生達は貧しいシューベルトの為にお金を集め、五線紙を買ってあげたりしていたという
そう、彼は人に恵まれていたのであった
何故かは分からないが、周りの人間が彼を手助けしてしまうという所は、幼少期から変わらないままだ(笑)
皆の期待に答える様にシューベルトは作曲分野でその天才ぶりを発揮していく
「4手ピアノのためのファンタジア (D1)」などの作品を発表している
牧師として
1813年、変声期を迎えたシューベルトはコンヴィクトを去り、父の学校に牧師として就職する
ちなみに兵役を避けるためという説もあり、この頃父親は再婚していた
歌曲を中心に作曲しており、仕事も早かったとされる
有名な「魔王」もこの頃に発表されている
ちなみにシューベルトの性格は「明るく開放的、多少病み易い、と思ったらいきなり燃え出す」といった忙しいものだったらしい(笑)
彼の作曲の姿勢は天才的で一日中作曲をすることもしばしばあり、完成したと思ったら次の作曲し始めるほどだったらしい
相変わらず貧乏なシューベルトだったが、周りの人たちに助けられてある時は宿を与えてもらい、またある時は食べ物を、またまたある時は手伝いにやってきてくれたりと「シューベルトを支える会」のような集まりになっていたという
何歳になっても周りに助けられるシューベルト、カリスマがあったのかもしれないね!
1822年、ベートーヴェンと知り合うが、特に親しい関係にはならなかったようだ
ただベートーヴェンはシューベルトの才能を認め、またシューベルトもベートーヴェンを尊敬していたらしい
同年、彼は「さすらい人幻想曲」というピアノ独奏曲を発表している
シューベルトが友人を招いて実際に弾いて発表しようとしたが、あまりにも難しいために彼は弾くことが出来ず
「こんな曲は悪魔にでも弾かせてしまえ!!!」ってブチギレたという逸話がある(笑)
彼はそこまでピアノが得意でなかったそうだ
晩年
1827年、ウィーンで過ごしていた彼だったが体調不良になることが多くなる
同年にベートーヴェンが亡くなっており、彼も葬儀に参列している
その後、友人らと酒場に行き「この中で最も早く死ぬ人に乾杯!」と不吉な音頭をとったらしい、翌年に結果が出るとも知らずに・・・
この頃発表した有名な曲は「白鳥の歌」など複数ある
1828年、シューベルトの体調は悪化し何を食べても嘔吐してしまうほどでどんどん素弱していった
11月14日、腸チフスのため31歳でこの世を去ることになる
皮肉な事に友人達と酒場で交わした音頭の通りにシューベルトが一番にあの世へ旅立った
トモーヌの感想
シューベルトの生い立ちを書いていて思うのは、彼は人に恵まれ過ぎ!笑
貧乏で五線紙も買えない状態でも周りの人たちが用意してくれるなんて羨ましいくらい恵まれているよな!
同じ天才でも、人間関係に苦労したモーツァルトと比べて真逆である
それだけシューベルトの才能に魅了された人が多く、カリスマがあったからだろう
20歳そこそこで代表作を書いちゃうくらいだからね
時には明るく、時には病んじゃう、時には感情的になる
喜怒哀楽が激しい性格だったっぽいね(笑)
生い立ちを知ってから彼の作品を聴くとまた違って聴こえると思うのよ!
トモーヌが好きな曲はピアノ五重奏「ます」なんだ!
有名どころだけど、何年経ってもこの曲は好きだね
明るく跳ねるような音だけかと思ったら、哀愁漂うメロディーもあって「シューベルトらしいなー」って思うんだよね