トモーヌのひとりごと

レゴや音楽、政治などを扱う雑記ブログ

【年末ガキ使】ダウンタウン浜田の黒メイク問題が国外でも話題に

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今週はどのニュースを扱おうかなって思ってネットサーフィンしていたら、このニュースが

news.nicovideo.jp

 

正直、「あちゃー、やっちまったかー」って思いました

何でここまで問題になったのかと、どうすればよいのかを考えていきましょう

 

最初に言っておきますが「差別問題」を議論したり話すことは非常に難しい事なのです

定義はもちろんの事、個人&集団での場合や歴史や経緯などなどあらゆる要素が重なりあって生まれるものなのです

逃げの言葉になりますが、私がここで差別問題を語っても何も解決もしませんし「ただの感想」の域でしょう

今回の記事は私の主観オンリーです

そら何も知らずにこのニュースを見たら「え?そんな事で???」ってなりますが

 

 

差別の定義を改めて確認しよう

言葉で定義を表すと非常に簡単です

偏見や先入観などをもとに,特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また,その扱い。 「人種-」 「 -待遇」

誰でもわかりますよねこのくらい

ここに悪意が入ると一発で「差別をしている」と断定出来ますが、今回のガキ使ではどうでしょうか?

「あれ?この定義に当てはまらないんじゃね?」

こう思う人は多いかと思います(私もそう思った)

ダウンタウン浜田は単純にエディ・マーフィーのコスプレをしただけで、黒人に対して不利益・不平等な扱いをしたわけじゃないでしょう

制作会社も「まさかこれで問題になるのか!?」と思ったに違いない

 

って事で可能な限り、掘り下げていこうかなと

 

全く悪意が無くても「差別」が発生してしまう

悪意がなくても受け手が「これは酷い」と感じたら差別になる事があります

つまり受け手が「嫌な感情」や「悪意」を捉えた時に差別が成立するわけです

この理屈はイジメ問題と近いかもしれません

第3者からすれば「ふざけ合っている」ように見えても片方の人が「私はイジメを受けている」と感じればイジメが成立するという理屈ですね

こうなると悪意が無くても成立しますよね

 

今回のガキ使の場合だと、黒塗りコスプレが浜田のみでその状況を笑うシーンが「これは・・・黒人を笑いものにしているのか?」と思わせた

って感じなのかな?

 

「差別って言う人が差別」って言葉に疑問

この見出しの言葉はよく使われていますよね

一見正論に思えますが欠点があります

この言い方は、差別が発生していないのに「差別だ」と言いがかりつけて成立させる場合に使えるわけです

実際に差別が発生している時に使うとその言葉が攻撃になってしまい、言論の自由が危ぶまれます

イジメに置き換えると「イジメって言う人がイジメを生む」って言い方になるわけだね

これは一つ上の項を見てくれたら理解出来るだろう

 

教育で差別はどうにか出来るのか?

正直言うと、小学校などの「道徳の時間」程度で差別問題を理解するのは不可能だと思う

あまりにも関連する項目が多く見解も分かれる分野なので、どうしても主観が入ってしまいます

故に完全な答えを作るのが非常に難しいわけで学校での教育の場合、先生の主観で授業を進めて先生の考えが正解になってしまいます(全部の学校がそうではないけど)

あ、これは私の実体験から思ったことです

 

まとめ

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今回のダウンタウン浜田の件は悪意が無く、差別しているつもりは無かったのかもしれない

でも関西のお笑いって人の見た目とかディスって笑いに変えるところがあるよね(地元は関西のノリが強いからそう思った)

違う地方の人から見たら「ちょっと言いすぎじゃないの?」って思うかもしれない

よく言われる関西での「お前アホやな~はバカにしているわけではない」って言うやつだって他の地方の人からしたら「なんで人に向かってアホって言うの?」ってなるだろう

人の見た目などで笑いを取る=見下して笑っている

こういう前提で見てしまう人もいるのではないかと思う

だとしたら今回の問題はよく考える必要があるよな