ニュースを見ていたら気になるものを発見しました
簡単に説明するとこうだ
- 教育支援団体が不登校者を学校に戻す試みを掲げる
- 「それは正しいのか」と批判殺到
- 団体が釈明
まあデリケートな話題ですが、あえて書いていこうかなと思います
「学校に戻す」は絶対的な解決ではない
曖昧な表現で悪いがこういわざる負えない
理由は簡単だ
不登校者は十人十色だから
人によっては「学校に戻る」が正解だが不正解の人もいるわけで、「こうあるべきだ!」って主張するのは正しくないのです
例えば同じ不登校でも
- 「何となく学校行きたくない」
- 「イジメが原因」
- 「学校の勉強についていけない」
こんな感じに人それぞれ理由が違いますよね(ざっくりですが)
理由が違えば答えも変わりますから「学校に戻す」がその人が求めている答えかどうかは支援者側が読み取る必要があります
不登校者の「学校に行きたくない理由」を調べて理想の答えを考えていくわけです
人によって求められる答えが違うのに最初から「解決法」を決めるのはよろしくありません
批判者は冷静になろう
批判したい気持ちは解かるがここは「冷静になろう」と提案したい
記事にも書いてあるコメントを引用します
「不登校が日本経済の衰退につながる?再登校がゴール?原田メソッド?なにひとつ賛同できない。不登校は病気じゃないとはいえ、思春期心性への配慮がまるで感じられないこのプロジェクトに強い戸惑いを禁じえません」
言っている事は理解出来ますがちょっと冷静になりたいところです
不登校でそのまま教育を受けないまま大人になった場合、日本国としては衰退する要素になる可能性があります
高水準の教育を受けた子どもと不登校のままの子どもと比べてどちらが良い就職先に行けるのか?
単純に高水準の子どもが良い就職先に行ける可能性が高いですよね(イメージ的にも)
そう思わせるのは世間のイメージであったり企業が求める人材像であったり常識であったりと色々な要素で出来上がっているのですよ
結果として教育を受けていない子どもは日本社会では不利となってしまうし社会貢献も度合いも変わってきます
なので「不登校が日本経済の衰退につながる」は正しいんですよね
「再登校がゴール」は上にも書いたとおり正解とはいないので×です
「教育は大切」であり「教育の仕方を考える」が課題なのですよ
あ、この団体のやり方が正しいかどうかはここでは言及しません
クラスジャパンプロジェクト – Class Japan Project | 一般財団法人 クラスジャパン教育機構
教育の多様性が必要か?
「みんな一緒で横並び」が基本である日本の学校教育には問題点はありますよね
それについては過去記事でも書いていますがね
横並びの教育の問題点は個性が強い人がはぶられる可能性があるところでしょう
そういう場合、はぶられた子はどこへ行けばよいのでしょうか?
「みんなと同じ事が出来ないのが悪い」っていって済ませば良いのでしょうか?自己責任論を振りかざせば良いのでしょうか?
個性が強く何かに秀でた能力がある子は、その能力を伸ばすように教育したほうが良いと私は思うのですよ
みんなと同じ学校がダメなら個性を尊重してくれる学校に行けるようにしたりして、個性を潰さない教育に変えていくべきでしょう
昔と比べてマシになったとはいえ、まだまだ日本は個性を軽視しています
トモーヌが出す具体的な案
小学校からの教育を大学みたいに単位制にする
基本の5教科は必修科目にして他の授業は選択性にして生徒の個性を重視する教育にしたら良いと思うのです
音楽が好きな子は音楽の授業を多めに取れば良いし美術が好きな子は美術の授業を取れば良いし、PCが得意な子はプログラミングを取れば良い
生徒に選択肢を与えるって大事じゃないかなと
小学生といえど意思もありますし賢いので「人生の中で自分で選択する」という行動をさせたほうがいいかと
選択を与えることで個性を尊重出来る
自分の個性が尊重されるのであれば不登校の数も減るんじゃないかなと昔から感じていました
まとめ
途中脱線しましたが不登校問題は単純なものじゃありません
故にあらゆる方法を考えて議論すべきです
教育問題は解決するのに時間が必要なので私達一人ひとりが考えていかないといけませんね