「若い時の苦労は買ってでもせよ」って言葉があるように日本は苦労を美徳としています
しかも他人に向かって「苦労は必要」と言っちゃうのが日本人らしいところである
結論から言うと苦労を買う必要はいりません
必要と思っている人の多くが勘違いしていると私は考えています
何の為の苦労なのか
若いうちの経験は年を取ってから役に立つことはありますが、ほとんどが結果論です
例えばブラック企業でよくある「残業を沢山すべし」は苦労の一つとして考えられますが、役に立つことありますか?
「忍耐が鍛えられる」という人もいるでしょうが、その忍耐をいつ使うのでしょう?
仮に忍耐がつくとしても代償が大きいのが欠点です(時間と金)
部活も同じで「忍耐」や「我慢」を覚えられると言われ良い物だと考えられていますが、これも役に立つ時がいつなのでしょうか?
学生であれば部活に偏った生活を過ごすよりも勉強に力を入れた方が将来に役に立ちますよ
勉強以外にも資格であったり自分の得意分野を伸ばすことだって可能なのです
「忍耐」や「我慢」を得ることが「苦労のおかげ」と言うのであれば無理があります
だってそんな苦労しなくても忍耐や我慢は身につきます
あなたが今抱えている苦労は一体何の役に立つのでしょう?
本来苦労というのは自分の目標、つまりゴールが決まっている事柄で使うべきです
やみくもに目的無く苦労をしていても無駄ですし、それでは「苦労をすること」が目的になってしまうのです
「苦労の甲斐があった」って言う話の多くは「数撃ちゃ当たる理論」と同じ理屈であると私は考えています
他人から言われる場合は参考にするな
自分自身で苦労を決めるのは良いのですが、他人から強要されるのであれば注意が必要です
何故なら他人が言う苦労があなたにとって必要かどうかはわからないからです
年齢関係無いです
たとえ自分より年齢が上の人間に「苦労しろ!こういうこともやれ!」って言われても鵜呑みしてはいけません
何故ならその人はあなたより年齢が上というだけであって、あなたの人生の経験者では無いからです
あなたの人生において必要な物はあなたにしかわかりませんので、他人に言われてする苦労なんて当てにならないし、安易に「自分の為になっている」と信じてしまうのは軽率なのですよ
基本的に他人に対して説教をしたり「苦労しろ」って言うのは自分の経験上や自分の考えを元に言っており、あなたの経験に基づいて話しているわけではないので参考にならない事があるのです
このことを念頭においた方が良いですよ
苦労が美徳ってクソ
日本では不幸話を美談にしたりお涙頂戴の演出をよく見ますよね
これは辛い状況から良い結果を出すことによって感動を得るわけですが、別に辛い状況じゃなくても良い結果を出すことは可能です
こんな風習があるせいで「人間としての成長は辛い事が必要!」って思い込んでしまうのですよ
個人の中で抑えておけば良いのですが、他人に対しても強要をしてしまうのは問題です
結果を出すために必要な要素に「苦労」が必須項目と思い込んでいるわけですから、「苦労しない奴はダメな奴」という新たな思い込みも発生します
結果として無駄な苦労を含めて他人に強要してしまい時間を浪費し精神も浪費していまう
体育会系ではよくありますねこういうの
ちなみにここで言う苦労は本人以外が定義している「苦労」です
・・・察しがいい人は気がついたでしょう
物事に対してそれが「苦労」かどうかは本人にしか決めれないのです
楽をするほうが良い
結局自分が苦労を決めるわけですから攻略の仕方も自分で決める必要があります
人から言われたように辛いほうを選ぶのか、頭を使って楽な道を作るのか
どっちのが賢いでしょうか?
ずばり楽をする道のほうが賢いです
何故なら既存の辛いほうは誰でも分かるルートであることに対して、楽なルートは未開拓&想像不能の道である事が多いからです
故に知識であったり知恵が必要になりますので賢くならないと出来ませんので、「こっちのが成長するじゃん!」ってなると思うのです
まとめ
結局苦労はいらないものもあって買うものではないのです
何でもかんでも苦労している人は時間という取り返しのつかないコストを浪費しているのです
何が苦労なのかは本人にしか決めれない
だから他人にどうこう言われて決めるのは意味不明なのです
むしろ苦労するよりも楽をするほうが賢明と断言します
物事を攻略するにあたって楽を選ぶ場合は頭を使いますので賢くないと出来ませんからね