8月12日、日本の偉大な歌手が123便の事故で亡くなりました
その歌手の名前は坂本九、私が最も尊敬しており心を揺さぶられる歌手なのです
今回は彼の魅力を皆さんにお伝えしたいと思う
最も影響力がある歌手、坂本九
彼の歌を知らない人はいないだろう
皆、坂本九の曲を耳にしたことがあるはずだ
彼の歌は合唱曲で多く採用されているし、多くのアーティストがカバーしている
いくつか作品を紹介しよう
上を向いて歩こう(1961~)
彼の歌の中では最も有名な曲である
海外では「SUKIYAKI」というタイトルで売られていた
アメリカのパスコって街でラジオDJを勤めていたリッチ・オズボーンが偶然坂本九のレコードを入手して紹介しようとしたが、彼は日本語を全く知らなかったがためにタイトルを読めなかった
そんなDJが唯一思いついた日本語が「SUKIYAKI」だったのだ
紹介してラジオで流したところ、問い合わせが殺到
斬新なメロディーに坂本九の独特のボーカル、まるでジャズとロックを足したようなテイストで若者を中心に人気が出たそうだ
当時のリスナーの中には「女性が歌っている」と勘違いしていた人も多く、また日本人と思わなかった人もいたそうだ
この曲が全米で発売されたのが1963年、当時の洋楽は今のレジェンドクラスの歌手達である
エルヴィス・プレスリー、キャロル・キング、ビートルズ、サム・クック、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズなどなど、名だたるアーティスト達が活躍していた時代だ
そんな化け物級の歌手達に紛れて坂本九の「SUKIYAKI」は3週連続でビルボード全米1位を獲得した
他のチャートでもランクインしており、文字通りの大ヒットである
しかも恐ろしいのが「日本語の楽曲で1位」というところだ
英語圏だから英語のほうが良いのは当然なのだが、坂本九の歌は日本語のままで売れてしまった
それは決してイロモノとしてではなかった
彼の歌唱法とメロディーがアメリカ人の心を掴んだのだ
「SUKIYAKI」の勢いは凄く、イギリスの全英チャートでも6位を獲得し、カナダとノルウェーでも1位、ドイツでも2位を取っている
55年経った今でもこの記録は破られていない
全米1位を取った日本人は坂本九だけで、アジア圏の歌手が全米1位を取った唯一の例なのだ(しかも3週連続)
こう聞けばいかに偉大か分かるだろう
おそらくこれからも破られることはない記録である
見上げてごらん夜の星を(1963)
全米で「SUKIYAKI」が大ヒットする2日前に発売された曲である
多くの人が歌いだしのフレーズを聞いた事があるだろう
カバーされる曲でもあり、歴代の音楽番組やライブで沢山のアーティストが歌っている
中でも123便の事故後に放送された「夜のヒットスタジオ」で森進一が歌ったエピソードが一番印象深いだろう
彼は自分の持ち歌「うさぎ」を歌う予定だったが急遽変更し、九さんへの追悼の意味をこめて全力でこの曲を歌った
森進一は坂本九を尊敬しており、親密な間柄だったのもあって涙ながらに歌い続けたという
その姿にスタジオにいた人たちのみならず視聴者の涙を誘い、B'zのボーカルである稲葉浩志も強く影響受けたそうだ
曲調は静かな雰囲気で哀愁が漂い涙を誘う
明日があるさ(1963)
タイトルで「あ!知ってる!!」と思った人は多いはずだ
ウルフルズやRe:Japanのカバーが有名である
合唱曲で歌うこともあり馴染み深い歌だ
軽快なリズムで覚え易いメロディーで一度聞けば口ずさめるだろう
何となく気分が落ちている人にピッタリかもしれない
歌詞を見れば分かるが恋の歌である
今だったらストーカーと勘違いされそうな内容だが淡い恋心を謳った歌である
幸せなら手をたたこう(1964)
「誰の曲かは知らないけど曲そのものは知っている」
そう思う人が多いかと思われる曲である
元々はアメリカ民謡であり、日本語の作詞をした人は音楽家ではなく早稲田大学名誉教授の木村利人である
木村がフィリピンで原曲を耳にし、帰国後に詞をつけたのが始まりである
仲間内の愛唱歌で歌われていたのだったが偶然にも坂本九が耳にしており、うろ覚えのまま作曲家へ持ち込みレコード化したそうだ
もちろんヒットした
NHKの「おかあさんといっしょ」でも歌のお兄さんとお姉さんが歌ったりしているので知っている人は多いはずだ
涙くんさよなら(1965)
私はこの曲を聴くと昔のドラマを思い出す(たしか「天までとどけ」だったと思う)
この曲もカバーしている人が非常に多いため、私も坂本九の曲と知らなかった
これも歌いだしが印象的ですぐ覚えれる
ふと口ずさめる歌である
自分の涙に対しての詞であるから恋愛の歌ではない
女性歌手がカバーする事が多い
心の瞳(1985)
この曲を知っている人は「あー、合唱曲じゃん」と思う事が多いだろう
実は坂本九さんの遺作であり、生前ラジオ番組最後に歌った曲でもあるのだ
番組の収録を終えて数時間後に彼は亡くなった
故にテレビやコンサートで披露されることが無い歌なのだ
生歌で歌ったのが唯一亡くなる前のラジオ番組でのみ
これは是非聴いてほしい
前半部分は羽田健太郎のピアノ伴奏で歌っている貴重な音源である
夫婦愛や家族愛をテーマにされた歌詞であるので、合唱曲として歌う学生には理解出来ないかもしれない
大人になってから「何て良い歌詞なんだろうか」と気付く人は少なくないはずだ
基本的に坂本九のヒットは1960年代の作品がほとんどで、その後は歌手として苦境に立たされていた
彼のキャラクターはタレント性もあったので司会業の仕事が多く、世の中が歌手としての坂本九ではなく司会の坂本九を求めていた証だったのだ
歌手としての自分を諦めるわけにはいかない坂本は関係者と真剣に話し合いをし、自身の方向性を考えた
「どういう歌を歌いたいのか」
その答えを自分の家族に向けたのだ
夫人である柏木由紀子さん向けた本当の気持ち、2人の娘に向けた家族愛、そうして出来たのが「心の瞳」である
坂本九本人も非常に気に入っていた曲であり、レコーディングを終えた後に家に持ち帰って妻である柏木さんに
「ゆっこ!僕達のことを歌ったような曲だよ!聴いたらきっと泣いちゃうよ!」
このように喜びを伝えたエピソードがある
坂本九が自身の新曲を家に持ち帰ることはこれまでに無かった話らしい
本人の喜びようからすると歌手として「理想の音楽」を手に入れたのだろう、心の底から嬉しかったに違いない
音楽は答えがあるようで無い世界である
自分の理想なんか手に入れれないものなのだ
理想の音を作り上げれることは、音楽家として至福の瞬間であり滅多に体験出来ないものなのだ
坂本九はそれを手に入れたというわけだ
彼はライブの最後で歌うつもりだったらしい
「アンコールで歌う曲が出来た」と言って喜んでいたが、願いは叶わずこの世を去ってしまった
その後、彼の最後の番組を聴いていた千葉県の中学校の音楽教師である長谷川剛によって「心の瞳」は合唱曲として歌われるようになった
人づてに他の学校にも「心の瞳」の合唱曲バージョンが広がっていき、今では全国の多くの学校で歌われている
時を経て、坂本九の家族である柏木由紀子さん、大島花子さん、舞阪ゆき子さんの3人はクリスマスコンサートで「心の瞳」を歌うようになった
そして2017年、坂本の三十三回忌を期し、坂本の歌う「心の瞳」に妻娘3人がコーラスを入れて家族4人で歌う「心の瞳」が完成した
当初はプロのコーラスに頼もうとして何回か声を入れたそうなのだが、全然馴染まなかったらしい
家族によるコーラスは自然に馴染み、プロデューサーである新田和長も「後から加えた幹事がしない、最初からこうあるべきだったんだね、というくらいしっくりくる。不思議だなと思いますね」とコメントを残している
これがこの曲の終着点なのかもしれない
家族の愛の歌、家族全員で歌うことで完成だろうと私は思う
坂本九とバディ・ホリー
よっぽどのマニアじゃないとバディ・ホリーを知らないだろう
声と歌い方が坂本九に似ていると思わないか?
坂本の歌唱法はバディの影響を受けていたと言われている
メガネの細身の地味な男性だが歌えばロックンローラー
エルヴィス達が活躍していた時代の歌手である
ロックンロールの天才とも言われており、後のアーティスト達へ大きな影響を与えている
基本のバンドスタイル(ギター2本、ベース、ドラム)を確立したのはバディである
ロックのパイオニアである
しかし彼は若くして22歳で飛行機事故によってこの世を去ることになる
坂本とバディ、同じ系統の歌唱法で天才であり2人ともロックンロールを愛していた
ただの偶然だろうけど何ともいえない気持ちになりますね
さいごに「坂本九はずっと歌い継がれる歌手」
彼の歌は多くの人を感動させて多くの人が歌い演奏している
ビリー・ジョエルも「SUKIYAKI」のサビ部分をライブで演奏したり、マイケル・ジャクソンもこの歌を知っていた
スタンド・バイ・ミーを歌っていたベン・E・キングや韓国の俳優であるイ・ビョンホンは日本語でカバーしている
国内においても数多くの人がカバーし坂本九の歌を歌う
カバーした歌を聴いた人がまた次の世代へと伝えていくでしょう
国という垣根を超えて世界の人の心に残る歌を歌った偉大な歌手が「坂本九」なのである