トモーヌのひとりごと

レゴや音楽、政治などを扱う雑記ブログ

松本人志が炎上!問題のポイント

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連日、お笑い芸人である松本人志の炎上が続きますね

彼の「死んだら負け」という発言について批判が相次ぎ、炎上しちゃってます

結論から言うと間違った発言だと私は思いますが、彼の人間性と芸風を考えるとこういう発言をするのは理解出来ます

松本人志が常識人と思うな

そもそも松本の笑いは差別的であったりイジメの要素を含んでいます

軽くディスりながら笑いに持っていく感じですね

島田紳助も同じように人をディスる芸風でしたが、松本の場合はツッコミを入れる人間がいます

浜田がいるからこそ松本の芸は際立つわけで、浜田がいないとただの悪口であったり心無い発言として捉えられてしまうのです

昔から松本はクロに近いグレーな発言をしていました、そしてそれを浜田が勢いよくツッコミを入れる事で笑いになる

グレーからクロになりそうなところでバシッとリセットする流れですね

これをふまえれば今回の発言も「また言ってるよ」となるでしょう

仮に今回の発言だって、横に浜田が居て「何でや」とツッコミを入れたらここまで炎上しなかったんじゃないかなと

 

今回の松本に対して怒りを向けるのは理解できますし私もイラっときましたが、彼が常識人では無いことを前提に考えたほうが良いでしょう

彼は自分の経験などを元に語っていますので、自分の生き方に基づいた発言かと思われます

そもそも松本に常識を期待し過ぎなのですよ

発言の意味は?

「死んだら負け」を正論と捉える人は多いでしょう

確かにそう思えるかもしれませんが、「負け」ってどこで負けと判断されるのかが不明です

社会問題の一つでもある「自殺」の原因は個人の範囲だけでは無いことがある

これは松本も理解しているはずなのです

正直言って、理由なんて自殺、ひとつじゃないと思うんですよ。いろんな複合的なことが重なって、許容範囲を超えちゃって、それこそ水がコップからあふれ出ていっちゃうんだと思うんです。これが原因だからってないんです。 

この発言が出来る時点で「原因が複雑である」と理解しています

であるならば勝ち負けで考えるのは雑ではないでしょうか?

個人の範疇を超えた原因が重なって冷静な判断もつかないくらいに精神をやられた人が命を絶ってしまった場合、どこが「負け」なのか不明です

そもそもそんな判断をする権利がありませんし、亡くなった人を責める言い方です

「死んだらあかん」って発言とは違います

亡くなる要因を責めるのであれば良いのですが、今回の発言はイジメの被害者を責めるのと同じ理屈になってしまうので批判が相次いだのでしょう

少なくとも誰かを救える言葉じゃないですね

 

ただ松本の発言で同意できる部分があります

死んだらみんながかばってくれるっていうこの風潮がすごく嫌なんです

この部分は私も同じ意見です

悲しい事に命を絶ってしまうまで、ほとんどの人が無関心なのです

いつも事が大きくなってから批判の声が上がる

取り返しがつかなくなってから批判する

私達はこれを何度も繰り返しています

しかしこの発言の終点を亡くなった方へ向けるのは反対です

 

松本の発言に付け加えるなら、

「都合が良いときに声を上げる風潮っておかしくね?」ですね

発言は間違っている?

そもそも「死んだら負け」って発言は通常の精神状態の人間なら有効ですが、追い詰められた人に言っても「じゃあ負けでいいよ」ってなりかねない危険な発言です

なので解決に導く言葉では無いと断言します

皆がそんなに強いか?

弱者への言葉じゃない

弱者を甘やかせと言っているんじゃない

弱者の逃げ道を無くしてどうするの?

勝手に人生を「戦い」にすんなよ

 

自分自身で「人生は戦いの連続だから負けたくない」と考えるならいいが、他者が他人の人生に対して「勝ち負け」を言うのは雑というか乱暴な話だ

そして今回の事件ではアイドルが異常な労働環境やパワハラに苦しめられた末の結末なので、所属事務所の違法性が浮き彫りになっている話だ

16歳のアイドルに我々大人と同じ理屈を振りかざしたとしても、無理があるんじゃないかなと

 

松本はこのアイドルの事件でこの発言すべきじゃなかったと思うのです

発言するなら整理してからにすればよかったのに

正しくは無い発言です

まとめ「もっと優しい言葉を」

松本の発言は弱者にとってはキツイ言葉です

この発言が正論となるならば、更に弱者が割を喰うことになります

100歩譲って、人生において「勝ち負け」を振りかざしてよいのは自分自身に対してだけであると私は思うのです

勝ち負けで物事を考えたり仕事をしたり、日々の生活をこなしていれば常にプレッシャーを抱えるようなものですから、精神的に参っている人なら「もう嫌」ってなっても不思議じゃないでしょう

 

結局今回の発言は弱者に寄り添ったものではなく、自己責任論に近いドライな発言であったというわけです