トモーヌのひとりごと

レゴや音楽、政治などを扱う雑記ブログ

『連帯責任』は教育ではなく洗脳である

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昔はよく「連帯責任だ」と体育や部活で理不尽な教育がされてきました

体育会系は盲目的に連帯責任を善と考えていたのか昭和のドラマではよくあるシーンでもありましたね

私としては連帯責任はカルトが使う洗脳と同じであると考えています

腐った精神論の産物

連帯責任とは、ある組織または団体において誰かが問題を起こしたり失敗した時に関係者全員が一緒に責任を取ることである

体育で言うなら「全員が跳び箱を飛べるまでやり直せ」とか「ミスしたらグループ全員が腕立て伏せをしろ」などの罰を与えたり、部活で言うなら下級生に対して理不尽な練習をさせて失敗した場合に「全員1時間正座で説教だ」などのアホなことをしたりと、今の時代でやれば炎上する要素たっぷりです

私の学生時代に「仲間のミスを皆で背負う」って知能の低い自称熱血教師が御託を並べることがありましたが、単純に理不尽を背負わせるだけで教育ではありません

ミスを一緒に背負うって一見美談に聞こえますが、「何で俺まで責任を負わなければいけないんだ」とイラつく子は出てくるし「こうなるならミスしてもバレないようにしよう」と隠蔽を企てる子も出てくるので新たな問題を作りだすのが『連帯責任』の本質なのですよ

結局、連帯責任で喜ぶのは指示した側(教師など)であり、指示された側が喜ぶことはありません

教師の自己満足でしかないのです

何度も繰り返す内に洗脳されちゃって教師の理不尽が正義になっていくわけですよ

真面目にやっている子が損をするのです

よって連帯責任を強いる教師はアホで無責任なのですよ

もしお子さんが教師から連帯責任を強いられたら即クレームを言いましょう

仕事の場合は?

学校教育ではデメリットでしかない連帯責任ですが、仕事においては話が変わってきます

厳密には連帯責任ではありませんが、累進性によってある程度バランスが調整されます

例えば同じプロジェクトを進めているのであれば参加者全員が責任を持ちますが、その中の一番の上司が責任が重いわけなのです

立場によって責任の度合いが変わるのは当然なのです

法律違反をした場合に関係者が全員責任を取るのも当然ですが、学校教育での連帯責任とは少しニュアンスが違いますね

責任を背負って仕事をして対価を得る、そして違反があれば責任を取る

これによって仕事が成り立つわけで、お金という対価があるから成立するのです

 

学校教育の場合は連帯責任における対価が無いので成立しない理屈なのです

そもそも責任の所在が曖昧なので理不尽でしかないのです

連帯責任信者の戯言

今の時代、理不尽な事に対して声を上げるようになってきたので昭和の悪しき風習が無くなりつつありますが、未だに理不尽な校則や風習を捨てれない学校があるようです

そして『連帯責任』を妄信している大人が存在しているのも事実なのです

このツイートは「連帯責任が無くなる傾向を良いことである」とつぶやいているのですが、それに対するリプの中で連帯責任を妄信している人がいるようです

揃いも揃ってアホなリプばかりなのでディスっていきましょう

そんな程度なら育たなくなって廃れてもらって結構です

連帯責任が教育ではないことを忘れずに

連帯責任を強いる側が無責任であり理不尽な使い方ばかりするから問題になるのです

それに問題が多いんだから連帯責任を否定しても別に良いでしょうって話

何が言いたいのか解かり難いですが、おそらく「監督責任」と間違えているかと思います

こういう事を言う頭の悪い人って多いんですけど、理不尽から学ぶもので具体的に良い事って説明してくれないんですよね

何となくで肯定しているだけで、仮に理不尽な問題が発生しても「我慢しろ」ってだけで解決するって考えが無いんですよね

理不尽を強いる側の方が得する事が多いんじゃないのかな?って疑問が湧かないのが不思議ですよ

まとめ

理不尽な『連帯責任』を強いる教育は間違いであり洗脳と同じです

気持ちの悪い精神論の産物である悪しき風習は淘汰すべきであると断言します

真面目な子が損をする風習が良いわけないだろって話

連帯責任肯定者の多くがアホばっかで悲しくなりますね