川崎・登戸の通り魔事件の犯人が『無敵の人』なのかどうかでネット上で話題になっています
犯人の生い立ちについて詳細が分かっていませんので、現時点では犯人が無敵の人かどうかは分かりません
「そもそも無敵の人って何?」って思う人も多いでしょうから、今回は無敵の人について書いていこうかなと
『無敵の人』の定義
記憶が正しければ『無敵の人』ってワードを生み出したのは西村ひろゆき氏だったと思います
私が考える無敵の人の定義はこんな感じです
- 失うモノが無い人
- 失うことに抵抗が無い人
ここで言う「失うモノ」とは、社会的地位であったり所帯であったりと、犯罪を起こすと失うもののことです
罪を犯せば職を失い、家族を失い、財産も失う可能性があります
それらが全く無いであろう中年ニートで絶望を抱えている人なら、無敵の人の条件を満たしていると思われます
失うモノが無い強み
唯一あるとすれば自分自身の命ってところでしょう
それなりの社会的地位であったり家族や財産を持っていたとしても、失うことを恐れなければ無敵の人になる可能性があります
「失うモノなんてどうでもいい」という自暴自棄にも思える精神状態ならば、何かのきっかけで凶行に走る可能性があるでしょう
無敵の人とは、社会的地位などのステータスであったり自尊心や自分の周りの人間関係や貯金などの財産が、全く無い人や失うことに抵抗が無い人です
どうして犯罪に走るのか
最初に言っておきますが、
無敵の人=犯罪者
こういう図式を肯定しているわけじゃありません
人間誰しも道を誤る可能性はありますし理由もそれぞれ違うものですが、あえて無敵の人が犯罪に走る理由を考えてみたいのです
最初に考えられるのは孤独感でしょう
無敵の人になると人付き合いが皆無に近い
誰からも相手にされず、人と会話もせず、信頼出来る友人もいなければ、正常な精神を保つことは難しくなるでしょう
次に貧困も考えられます
生活をしていく上で金は大切です
金が無ければ生活が出来なくなり困窮してしまいます
今ある生活が出来ないと核心した時、自ら命を絶つか最後に暴れるか、絶望した時はどちらかの選択を取るのでしょう
何もしない人もいるでしょうが、その先に待っているのは命が尽きる日です
他だと嫉妬も考えれます
自身の状況に対して周りの生活水準が高かったり、俗に言うリア充であったりと他人が恵まれている様子を見るのはストレスになるのでしょう
「何故私はこんな状況なのに・・・」
こんな嫉妬を抱えていれば正常な精神を保てなくなります
いずれも「自分自身を大切に出来ない状況」が生まれていますね
なのでこういう悲しい事件を減らすために、自分自身を大切に出来る教育を進めるべきであると断言します
どうすればいいのか
無敵の人は何らかしらの理由で社会からはじかれてしまった可能性が高いわけですから、多かれ少なかれ社会に対して憤りがあるでしょう
「社会が自分に何もしてくれない」
「自分をこんな状況にした社会を許せない」
こう考えても不思議じゃないわけです
そら教育にメスを入れるのは賛成ですが、反映するまで時間がかかるし、教育を受けれなかった世代の対策になっておりません
となると社会制度で対策を講じるしかありません
弱者救済を基本に出来る社会にしなければ、どんどん増えているでしょうね
まとめ
これからの時代は正社員の数が減るでしょうから、生活の安定が難しくなるでしょう
そうなると生きているだけで強くストレスを抱えたり、収入が低いせいで結婚も出来ず、大切なモノを手に入れることも出来ない人が増えるでしょう
そういう人たちが絶望し怒りの矛先を社会に向けた時、どうなるのかを皆で考えていかなければなりません