
国会答弁やSNS、学校や職場のトラブル――
誰かと誰かがぶつかったとき、「喧嘩両成敗」「どっちもどっち」といった言葉が持ち出される場面は本当によくあります。
一見するとバランスの取れた正論のように思えますが、実はこの「どっちもどっち論」、ほとんどの場合で使うべきではありません。
「どっちもどっち」の正しい使い方は本当にあるのか?
「どっちもどっち」は喧嘩や口論、いじめや差別問題など幅広く使われていますが、実際には適用できる場面はごくわずかです。
喧嘩の場合
例えば喧嘩の場合、まず先に手を出した側に責任があります。
「手を出さなければそもそも争いにならなかった」は正しい指摘です。
しかし日本社会では、被害を受けた側が反撃してしまうと、なぜか「どっちもどっち」とまとめられて終わってしまうことが多い。
実際には、先に手を出した側と防衛のために動いた側を一緒くたにするのは無理があります。
しかも正当防衛の場合は話が全く変わってくるので、なおさら安易な適用はできません。
口論の場合
口論であっても、もし名誉毀損や侮辱のような法に触れる発言がなされた場合、双方に責任が問われることはあります。
しかし内容が法的に問題が無い普通のやりとりなら、「仕掛けた側」にまず責任があります。
本来は「なぜ口論が始まったのか」を見極めたうえで、適切な謝罪や解決策を探るべきです。
いじめ問題での誤用
特に問題なのは、いじめ問題で「いじめられる側にも原因がある」「どっちもどっちだ」と言い出すケース。
これは絶対に間違っています。
仮に被害者側にも何らかの要因があったとしても、「いじめを受けて当然」になることは絶対にありません。
いじめの加害者が100%悪いのです。
「どっちもどっち」は議論放棄・責任逃れの常套句
「どっちもどっち」という言葉を使う人の多くは、当事者ではなく第3者です。
つまり「どちらにも肩入れしたくない」「責任を負いたくない」立場の人がよく使います。
この言葉を投げてしまうと、その場の議論は“そこでストップ”してしまい、「なぜこうなったか」という根本的な原因の究明がなされなくなります。
議論を終わらせることで失われるもの
仮にAとBが激しく言い争っていたとして、関係ないCが「どっちもどっちだろ」と発言すれば、問題の本質に迫る議論が打ち切られます。
この場合、本当に被害者がいた場合は「理不尽なまま」終わってしまい、後にわだかまりが残るだけです。
もちろん「不毛な争いを終わらせたい」という気持ち自体は理解できます。
しかし、あまりに安易に使ってしまえば、納得できない結果や新たな被害者を生む可能性があるのです。
「どっちもどっち」で片付ける前にやるべきこと
両者に非があるかどうか分からない場面こそ、安易な「どっちもどっち」ではなく、
「今は詳しいことが分からないから、まず落ち着いて話し合ってみよう」
といった態度が一番誠実です。
これなら本当の原因や経緯を明らかにできるし、無責任に議論を終わらせることもありません。
「どっちもどっち」を多用する人には、「それは思考停止と同じだよ」と強く伝えたいです。
まとめ
言葉は使い方一つで人を傷つけたり、救ったりする力があります。
「どっちもどっち」論は無責任なだけでなく、本来解決されるべき問題をうやむやにするリスクも高いです。
安易にこの言葉で片付けず、「何が本当の原因なのか?」と一歩踏み込んで考える姿勢が大切です。
議論の序盤で「どっちもどっち」と決めつけてしまうのは、真剣に向き合うことを放棄したのと同じ――。
もしこれを「正論」だと思い込んでいるなら、それは非常に危険で、恥ずかしい態度だと理解しましょう。