トモーヌのひとりごと

レゴや音楽、政治などを扱う雑記ブログ

理不尽を我慢する必要は無い!耐えなくてもよい理由

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よく学校の部活や企業とかで「理不尽に耐えることは大切」と言われますね

一見、正論に思えるこの言葉なのですが

私は間違いであると断言します

その理由を書きます

そもそも理不尽の意味を理解しているか?

煽るような見出しで申し訳ない

理不尽に耐える大切さを人に言っている奴はそもそも理不尽の意味が分かっていないかと思われる

意味を書くと

  • 「物事の筋が通らないさま」
  • 「道理に合わないこと」

このように無茶苦茶なさまをさしているわけです

筋の通らないことを繰り返せば「人間としておかしい」と言われたりしますよね?

理不尽ってまさに無茶苦茶って意味です

部活内や企業内によくいる「理不尽な人」っていうのは「無茶苦茶な人」とも言えるわけで、人として間違っていることが多いんですよ

一言で言うなら「アホ」です

そんなアホが振りまく「理不尽」「耐えるべき」って考えは、普通におかしいと思いませんか?

耐えてどうすんの?

理不尽を耐えろ論者がアホなのは「耐えてどうすんの?」ってところを説明出来ていないことです

何の為に理不尽に耐える必要があるんでしょうね

自分の為?他人の為?学校の為?企業の為?

私は「自分の為では無い」と断言します

だって理不尽に耐える力を得たところで理不尽な問題を解決出来ないし、自分が耐えることで誰かが喜ぶんですよ

結局自分が得する事なんかありません

損するほうが多いのです

アホになってしまうと「部活での理不尽な経験のおかげで社会でもやっていける」と勘違いするのです

そんな思考の持ち主は、ブラック企業経営者からすると最高のカモなのですよ

もう一つ付け加えると、

「そんな経験が絶対必要な社会なんかありません」

非効率的な練習を繰り返し、時間と回数で経験値を稼いで「俺凄いだろ」とアピールするアホと同じくらい痛いです

時間の無駄だからやめたほうがいいですよ

理不尽に耐えるアホよりも適当でいい加減な人間の方が得ですよ

残念ながら経験上そう思いますね

耐えるよりも正す力を

「理不尽を正せ」と言われると正義感が必要かと思うでしょうけど、そんな大層な話ではありません

「お前おかしいだろ」って言えればいいんですよ

理不尽な奴って結局アホなので誰かに注意されないと分かりません

だからきつく「お前はおかしい」と言う必要があるのです

誰かが理不尽な目に合っていたら「我慢しなさい」と言うのではなく、「それはおかしいから声をあげよう」と言える社会の方が健全と思いませんか?

私はそう思いますよ

日本でも少しずつそうなりつつあります

ネットの普及のおかげで理不尽な事に対して対抗する風潮が出来てきました

学校や企業でも理不尽な出来事をネットに上げるだけで賛同者が寄ってきて、問題の根源を叩く

耐えるよりもずっと健全な現象なのです

まとめ「理不尽に耐える」は間違い

そもそも理不尽な出来事は自分に過失が無いトラブルであることが多い

中に人権侵害や刑法に触れる内容だってある

そんなものを「耐える練習」してどうするって話だ

問題が起きた時に毅然とした態度で対応すればよいだけである

耐えるよりも「こいつおかしいから訴えてやる」のほうが問題解決としては賢明だし、部活で理不尽な扱いを酷く受けたのであれば録画・録音して晒してやると問題解決につながります

我慢したところで得をするのは「理不尽な事をする人間」なのですよ

そう考えたら「理不尽に耐える」っておかしいでしょ?