我々社会人は「責任」が常につきまといます
よく言われるのは「仕事の責任」ですが、そのせいで過労になったりブラック企業でいい様に使われてしまう結果も生んでいます
私は最近「責任を強く感じ行動すると損なのか?」という疑問が出てきました
日本社会では無責任が一番強くて楽なのではないかなと理由を書いていきます
日本は過剰な責任を要求する
正社員だけでなくアルバイトにも「責任を持って仕事をしろ」というのが常識になっています
普通に考えたら正しいのですが欠点があります
一度高いハードルを設定した場合は下げることが難しいのです
具体例を出しましょう
あるアルバイトの人間が「この仕事もします!」と正社員の仕事もするようになり、それが当たり前の状態になります
新人アルバイトが入った時に「この仕事もアルバイトがするんだよ」と正社員の仕事をさせてしまい、新人が断ろうとしても「仕事でしょ、責任があるだろ」と無茶苦茶を言うようになるのです
つまり責任の名の下にさせる仕事を増やしたり、権限以上の業務をさせたりしてしまうのが日本の労働環境なわけです
沢山仕事をしても時給は据え置きです
正社員でも同じように権限以上の仕事をさせておいて「責任」を押し付けてきます
例えば、明らかに1日で終わる業務量では無い仕事なので定時に帰って翌日に続きをしようとしたら「何故帰るんだ?無責任だな!ちゃんと終わらせてから帰れ」って言われる人って多いと思うのです
一見、正論に感じますが業務の裁量に問題があるという考えが欠如しています
「責任」って言葉は詭弁を正論に感じさせる便利な言葉なのです
無責任者は得
日本の場合、業務を早く終わらせても次の仕事をさせてきます
しかし給料は据え置きがほとんどですから、仕事をしない人ほど得をする状況が生まれてしまいます
沢山仕事をする人は多かれ少なかれ「責任」を持っているので頑張って業務をこなしているわけです
一方で「仕事をしない人&最低限の業務しかしない人」は給料に対して業務の数が少ないので得なのです
「自由には責任がある」という考えは皆知っている考えですが、裏を返すと「自由を棄てれば責任を問われない」という解釈にもなりますから、時間内は自由が無いが定時を過ぎれば開放という考えにもなるんです
「どうせこの業務量じゃ定時で終わらないから5時になったら帰ろうっと」
↑こういう人は結果として時間を有効に使えるし過労にもならないので楽なんですよ(原則時間内は自由が無いが定時過ぎれば終了なので)
無責任者は仕事のミスでも責任を取りません
倫理的には問題がありますが、多くの場合業務上のミスで労働者が責任を取ることは稀なのですよ
業務上のミスで会社に損害がある程度出るのは基本的に仕方が無いことで、原則故意でなければ労働者が責任を取ることは無いのです(謝罪程度でOK)
なので無責任者は適当に仕事をしてミスをしても責任を取らないので二重に得なのです
「誰かが責任を取ってくれる」が今の日本の現実です
個人主義が理想
よく無責任と個人主義を混合してしまう人がいますが全然違う性質のものです
本来個人主義は、個人同士がお互いに尊重し合う考えが元になって相互主義が原則なのです
孤立する事はご法度ですし他社に対して自分勝手な振る舞いもアウトなのです
お互いが個人の人格を尊重して初めて自分の人格や自由も認められるので、無責任とは違うのです
そうすれば皆がストレスを少なく済むので楽になるので理想なわけです
他人に対して過剰な責任を要求するのも、自分さえ良ければそれで良いという考えも個人主義とかけ離れたものなのです
日本は個人主義を出来ない国なのでしょう
まとめ
結果として無責任者が得をしてしまうのが日本の現実ですが、倫理的には問題があります
ただ無責任を批判していては解決になりません
「他者に対して過剰な責任を要求」に対抗出来るものが「無責任」なのです
どちらかを無くしたところで問題は解決しないだけでなく新たな問題を生んでしまうのです
解決するには正しい個人主義の教育を進めることでしょう
私としては正直諦めており、個人主義は理想論とも思っています
「そうなったらいいのになー」
こう考えて行き着いたのが個人主義だったのです
日本で個人主義が正しく認識される未来は来るのでしょうか?