トモーヌのひとりごと

レゴや音楽、政治などを扱う雑記ブログ

音楽の神様!バッハを称えようぜ!!!

 

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今日はバッハについて書こうか

学校で習う作曲家でもあり音楽の父といえる偉大な人間である!

今回はそんな偉大な彼の意外な一面をご紹介しよう

目次

バッハの生い立ち

彼は1685年3月31日、アイゼナハで8人兄弟の末っ子として生まれた

当時は神聖ローマ帝国の時代だ!当時のアイゼナハ周辺はバッハ一族だらけで同姓同名までもいる状態だったそうだ

彼は9歳の時に母を、10歳の時に父を亡くしている

そんな不幸に見舞われたバッハだったが、後に偉大な音楽家となる

 

 

バッハってどんな楽器が弾けたの?

実は彼は今風に言うとマルチプレイヤーだった

ピアノにヴァイオリン、ハープシコードやオルガンを弾くことが出来たと言われている

1703年、ヴァイマルにある宮廷楽団に就職する!最初の彼の職場だ

最初はヴァイオリンが担当だったが、たまにオルガニストの代役でオルガンを演奏することもあった

就職したその年、現在ではバッハ教会と呼ばれるアルンシュタットの教会に新しいオルガンが設置された

バッハは試奏者に選ばれ演奏を披露した

その演奏が素晴らしかったためにバッハはその教会のオルガニストに採用された上に、聖歌隊の先生も任されるようになる!

そう、バッハのオルガンの腕は一流であったのだ

 

 

バッハは転職しまくりの人生だった!?

実はこの人、めちゃくちゃ転職をしているのだ

5回転職をしているのだ

バッハが現在に生きていたらリクナビのヘビーユーザーかもしれない

主に給与が転職理由なだけに現代人に通ずるものがある

彼は転職するだけにおさまらず色々な仕事を掛け持ちしており、トラブルもよく起こしていたらしい

 

バッハの恋

1705年の10月、バッハは4週間の休暇をとって現在のドイツにあるリューベックへ旅行する

何故かはわからないが徒歩で行ったらしい

距離は400kmあったそうだ(すげぇ)現地の聖マリア教会のオルガニストであるディートリヒ・ブクステフーデに演奏を学んだ

ブクステフーデはバッハの才能を見抜いて自分の娘マルグレータと結婚をするように持ち掛ける

なんと聖マリア教会のオルガニストの地位を約束するという条件付きだった

当時、聖マリア教会のオルガニストの地位はとても栄誉ある事で、若いバッハにとってはチャンスでもあったはずだったが・・・バッハは辞退しちゃうのだ!多分理由はマルグレータがバッハより10歳年上で三十路だったからかも?笑

ちなみにブクステフーデの演奏に感化されたバッハは4週間の休暇をオーバーして4ヶ月近く休んでいたらしい

 

今の時代だったらクビである

 

あとで滅茶苦茶怒られたらしいです(笑)

 

翌年11月には自分の担当している聖歌隊に知り合った女の子を勝手に入れて歌わせていた

 

職権濫用である

 

もちろん問題になり怒られている

懲りない男だ

この女の子が最初の妻になるマリア・バルバラである説が有力らしい

当時のバッハはやりたい放題であり、教会のオルガンの演奏席に女の子を呼び演奏を聴かせたり、聖歌隊の音楽を自分で作曲したものを歌わせたりしていた

でも音楽の実力は評価されていたらしい

このあとマリア・バルバラと結婚する

7人の子供に恵まれたらしい(元気だなおい)そのうち2人は音楽家として大成する

今風に言うと大家族なので生活を圧迫しており楽ではなかった

マリア・バルバラはバッハが旅行中に亡くなってしまう

 

バッハはその後、アンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長になり、そこで歌手として働いてアンナ・マクダレーナ・ヴィルケと知り合い再婚する

なんと13人の子供に恵まれた(す、すげぇ)そのうち何人かは音楽家として大成した

 

 

バッハの最期

1749年に脳卒中で倒れてしまう、翌年に高名な医者に手術を2回してもらうが手術は失敗し、バッハは後遺症に悩まされる

投薬などしたものの65歳のバッハにとっては辛く、1750年7月28日にこの世を去る

教科書でよく見るバッハの肖像画は彼が61歳の時のものである

 

 

さいごに

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・・・・どうよ!バッハって音楽の父と言われ偉大なのに、どこか現代チックなところがあって面白いよな!転職族で副業もして子沢山、自分勝手でトラブルを起こしまくる。人間味に溢れているではないか