昔からよくある話ですよねー
僕は性格が悪い。仕事関係の人と、1年に数回は揉める。今年は7月、8月、9月と連続して大揉めしたばかりだ。揉めた相手との共通の知人は、そういう状況になると毎度毎度僕をたしなめようとする。その上で、「アイツ、ああ見えてもいいとこあるんだよ」みたいなことを言ってくれることがある。
知ったことではないという話だ。僕が嫌いな言葉の一つがこの「ああ見えていい奴」だ。何がイヤかって、これってろくでもない人間を擁護するバカが決まって口にするワードだからである。(文:松本ミゾレ)
こういう話を「こち亀」で読んだ事がありますね~、両津が「偉い奴ってのは、始めからワルになんかにならねぇの!正直で正しい人間がえらいにきまってるだろ!」って正論を言います
私も「その通り!」と思いますが、結構難しい問題なんですよね
ってことでこのネタについて書いていきます
両津は正論!不良はマイナスである!
こち亀の両津が主張した内容とトモーヌの認識は完全に一致です
不良である時点でマイナス要素なのは間違いないでしょう
素行が悪くて周りに迷惑をかけている時点でダメですよね
しかし不良の善行は何故か評価が高いという不思議な現象がよく起きています
普通に考えるとわけわからんよな!?
普通に真面目にしている人の善行より評価が高いのはおかしいよな
不良がマイナスからゼロに戻っただけなのに
正論なのに、何故この考えが浸透しないのかを考えてみましょう
評価の原因はギャップか
一番に考えられるのはこれだろう
「あいつが良い事をするわけがない」って先入観があるのではないのかな?
んでたまたま良い行いをしているのを見て「素晴らしい」って過大評価をしてしまう
昔流行った「ギャップ萌え」に近い現象だわな
例えば・・・
街で不良がゴミ拾いしていたら大半の人は「不良なのに良い子じゃないか!」って思うだろう!
しかし普通の真面目な学生がゴミ拾いしていた場合はどうかな?
「ふーん」って思ったり気にしないんじゃないだろうか
そら中には「良い事だ!」って思う人もいるだろうけど、「不良のゴミ拾い」のほうがインパクトが強いし目立つのだ!
よって不良の善行のほうが、印象が強くて人々の記憶に残りやすい
多数派が認識すると不良に?
実はこの手の話は定義付けが非常に難しいのだ
人の印象というのは十人十色である
T君に対してA君が「君は不良だよ」と言ったとしてもB君が「いや普通だろ」と答えてしまえば不良率が50%である
完全な不良は存在しないわけであり、ほとんどが見た目での判断が多いと経験上感じている(反社会的行為は別として)
例えばピアスや茶髪&金髪である
外見が変わるだけであり、中身が変わったかどうかは不明なのだ
だから今回の題である「不良だけど根はいい奴」が成立するには周りの人間個人が「○○は不良だ」と認識している前提が必要だ
もちろん理由は曖昧でいい、所詮イメージなんだから
まとめ
不良と真面目の例を比較すれば、真面目のほうがずっと良いし偉いだろ
しかーし!人々は印象の強いほうを好む、よって不良の善行は取り上げられる
私としては「不良だけど」っていう曖昧な前提を付けるのは好きではない
この前提は「個人の感想」であるという認識が必要かなと
とはいえ真面目と評価を受けている人間からすれば「不平等」って思うだろう
成し遂げた事について評価すれば解決に近づくものなんだろうけど
うん、言っちゃっていいかな?
皆人間なんだから正しい評価なんか出来ねーよ!!!
世間一般で言う非行に走っている少年少女
警察の厄介になるような生徒
色々な定義があるでしょうから「これで不良である」は難しいわけ
なので多数が「不良と認める生徒」が不良となってしまいますし、人間関係によっては「普通の人」ってなっちゃいます
更に人はギャップがある事にインパクトを感じる生き物なの
だから「不良の善行を過大評価しちまうのは仕方ねぇ」ってわけよ!
おかしい話だけど、こういうのは無くならないと思う
100%の答えが出せないのです