今回は最も知名度があるかと思われるクラシックの作曲家であるベートーベンについて語ろうと思う
小学校の音楽の授業で必ず出てくる人だ
肖像画の印象から堅苦しいイメージがあるが、ベートーベンの生涯を知れば彼の魅力に気づくだろう
ベートーベンの生い立ち
彼は現在のドイツ領であるボンという街で生まれた
宮廷歌手である父からスパルタ教育を受けたことから、ベートーベンは音楽嫌いになってしまったという
16歳になったベートーベンはウィーンへ行き、憧れであったモーツァルトに会うも母親が倒れた連絡を受けすぐにボンに戻る
肺結核で母を亡くした後は、アルコール依存で失職した父に代わって、沢山仕事をして家計を支えた
このように若い時から苦労が絶えなかった
苦悩続きのベートーベンに転機が訪れる
たまたまボンに立ち寄ったハイドンから才能を認められ弟子入りを許可されたのだ
そして再びウィーンへ行く
その後すぐに父も亡くしている
ウィーンに移住後まもなく、ピアノの即興演奏家として名を馳せることになる
難聴&病気との戦い
20代後半ごろ難聴が悪化していく
28歳の頃には最高度難聴者となる
音楽家にとって聴覚を無くすのは致命傷に等しく、ベートーベンは絶望を感じていたが、彼は心を強く持ち音楽の道で生きると決心し、自分の音楽の道へと進む
1804年に交響曲3番を発表し、それから次々に作品を書いていった
もともとピアニストだったベートーベンだったが、難聴を抱えながらも完全に作曲家として活動するようになる
40歳頃には全聾になってしまい、完全に音が聞こえなくなる
更に神経性の腹痛や下痢にも苦しめられ、加えて素行の悪い甥っ子の後見人としても苦悩するが、作品作りをやめることはなかった
晩年
元々の持病に肺炎が加わり病状が悪化してしまう
もはや満足に動き回ることが出来なくなったベートーベンだったが、交響曲第10番に着手するなど音楽家としての活動を決して止めなかった
しかしこの曲が未完成のまま1827年3月26日に肝硬変でこの世を去る
葬儀には約2万人の人々が駆けつけるほどで、次の年に亡くなるシューベルトも参加している
作曲家ベートーベンの魅力
彼は凄腕のピアニストだけあってピアノ曲の評価は高く、今の時代でもよく演奏される
彼の楽曲はどこか悲しくそして重い暗さを持っており、知らない曲でも「あ、この曲ベートーベン?」と思わせる特徴がある
彼の活動初期の世の中での音楽家は、依頼を宮廷や貴族から受けて機会音楽を作曲することが普通の事だったが、ベートーベンはこのようなしがらみを拒否し、今風に言うとフリーランスで活動し「音楽家=芸術家」という考えを公言し、後の音楽家達に大きな影響を及ぼした
ブラームスやワーグナーはベートーベンの大ファンである
逸話
イメージとは違うが、彼は筋肉質でがっちり体型だった(強そう?笑)
女性関係が派手だったが独身である
潔癖症なのか風呂と洗濯が大好きだった
性格は気分屋で多少口も悪かったりします
メトロノームを始めて活用する音楽家でもあった
師であるハイドンに「出版する楽譜に“ハイドンの教え子”と書け!」と命令されるも「あなたに教えられた事は何もない」と拒否するなど強気な面もある
とまあ破天荒な一面もある彼です
やっぱり音楽家はちょっと変わった人が多いですね!ベートーベンは生涯で彼女がいなかった時期がないくらいモテたそうです
トモーヌが彼の曲で一番好きなのは月光第3番です