未だに日本では体罰容認派が結構多い
私の身の回りでも「ある程度体罰は必要」と考える人が多くて驚愕です
容認派の多くが良く言う台詞に「愛情ある体罰」というのがありますが、私は実体験を元にコレを断固として否定します
体罰振るう側の屁理屈である
「愛情があれば・・・」とか壊れたレコーダーの如く繰り返す容認派がチラホラいるんですけど、それってこじつけであったり被害者側が勘違いしたり過去を美化しているだけに過ぎません
例外として暴力を受けて喜ぶ人もいるでしょうがここでは省略します
そもそも愛情があればどうのこうのっていうくだりは加害者側の理屈なのです
仮に本当に愛情が持ってやったとしても、それは加害者にしか分からない感情であり体罰を受けた被害者は「そんなこと知らんがな」って話なのです
「あの時受けたゲンコツは愛情があった」って言う体罰経験者の容認派がいますが、それは理由を後付けしているだけに過ぎません
用は愛情があったことにして納得しようとしているのですよ
体罰受けた瞬間に「愛情を感じる!」って人を見た事がありませんし聞いた事も無い
所詮「愛情があれば・・・」は体罰振るう側の勝手な理屈なのです
まあ、屁理屈って言ったほうがしっくりきますね
体罰は高リスクである
体罰によって人格が曲がる可能性は高いと思います
そら大体の子はまともに育つかもしれませんが、それは体罰のおかげじゃないです
知識をつけ経験を経て「あの時の体罰の意味は」と勝手に理由付けして納得した気になっているだけで、体罰のおかげでまともな人格に育ったわけじゃないのですよ
そして体罰教育が大失敗すると大変なことになります
何を隠そう私こそ体罰によって性格がひん曲がりDV癖を持ち、それらを矯正するのに十数年かかってしまった体罰教育の失敗例なのです
私の場合、母親と幼稚園の教諭の体罰が最も心に刻まれており未だに許せていません
母親の場合は怒鳴った後にビンタをしてきたり頭を叩いてきたりしてきました
幼稚園教諭は授業中に友達と喋っていただけで頭を叩いて教室から追い出すような奴でした
私は幼少期の体罰を未だに許していませんが、母親に関しては中学生の時に仕返しで思いっきり殴った経験があるのでそれで少しは落ち着きましたが、幼稚園教諭の奴は絶対に許せません
もし今目の前にいたら怒鳴り散らして同じ恐怖を与えてやろうと思うくらい憎んでいます
わかりますか?
これが体罰教育の結果なのですよ
「愛情があれば」って世迷言を言うアホに言っておきますが、世の中には体罰によって人格がひん曲がって恨み続ける人間がいるんですよ
そのリスクを背負えますか?
体罰は自らの敵を生み出す行為でもあるのです
「大人気ない」って思う人いるでしょ?
そら加害者側はそう思うでしょうが被害者側は一生の傷を受けるのです
いじめと同じなのですよ
被害者ばかり我慢しなければいけないのはおかしいでしょ
体罰によって学んだ事
アホ共が体罰によって「人の痛みが理解出来る」とか「力加減も分かるし真面目になる」という根拠皆無の理屈を述べているのをたまに見ますが、はっきり言ってデタラメです
確実に私はそう思いませんでした
では体罰によって何を学んだのかを教えましょう
それは「怒ったら人を殴っていい」ってことでした
幼少期に受けた記憶では体罰を振るう大人は皆怒っていました
当時の私が感じたのは単純に「ムカついたり怒ったときは殴ってもいいんだ」ってことだけで、人の痛みなんか理解出来ませんでしたよ
その後小学校に上がり、ムカついたら直ぐ人を殴る子になってしまいトラブルが多く嫌な少年時代を過ごしました
中学高校に上がっても全く直らず、大人になっても全く直らなくて付き合う人にDVも行ってしまう最低な男になってしまったのです
DVの原因は幼少期に体罰を与えてきたのが女性だったのがあると自分では思っています
今では直ったので良いのですが、失ったものがあまりにも多い
ここでまた私が学んだ事は「暴力で失うものが多い」でした
まとめ
私が体罰で学んだ事は
- ムカついたら殴る
- 力で解決しても良い
- 暴力で失うものが多い
どうですか?
体罰をまともに感じますか?
私だけの固有の症状だと思いますか?
これは経験上の話なので、私にとってはこれが真実なのですよ